2011年8月8日月曜日

8月22号 婦人公論に記事を掲載しています

87日発売の822号婦人公論に、『放射能にさらされる子どもたちを守りたい』というルポを書かせていただきました。

http://www.fujinkoron.jp/newest_issue/index.html

現在発売中ですので、よろしければぜひご覧ください。

この取材をするために福島に向かったのは、6月上旬でした。

取材から、紙面に掲載されるまで少し時間がかかってしまったのですが、福島の子どもたちが置かれている状況は、残念ながら変わっておりません。

変わっていないどころか、毎週のように現地に支援に行っている知人から話を聞くと、

「すでに、疎開や移住をあきらめ、病気になろうが死のうが、ここで生きていくしかないんだ」と、負の覚悟を決めて投げやりになっているママさんたちも増えてきているとのこと。精神を病んでいる人が増えているのです。

心配でなりません。

取材させていただいたときは、「もしかしてこの記事が紙面に載る頃には、子どもの学童疎開が決まったり、自主避難の権利が獲得されたりして、事態が大きく動いているのでは…」と、期待していましたが、後退している…といっても過言ではないかもしれません。

しかし、ここ数ヶ月、福島の方々とお話しさせていただく中で、「避難や移住」が私が思っている以上に簡単ではないことも痛感いたしました。

身の安全が第一なのは当たり前ですが、疎開や移住をしたものの、家族離ればなれの生活や、地域コミュニティとの断絶がどれほど辛いことかも、みなさんの話を聞く中で知りました。

じゃあ、せめて私たちができることは何か――、と考えたとき、現地のことに関心を持ち続け、その様子を伝え、現地の人たちが「こうしたい」と望んだときに、いかにサポートできる体制をつくるか、だと感じました。

私個人はとても微力で、日々の生活に追われていますが、『知る・伝える・動く』ということを、なるべく少しずつでも続けていきたいと考えています。

こんなことをいうと、「すごいね」とか、「支援しているんだね」とか言われるのですが、決してそうではありません。

『人ごと』じゃないからやっている。

『自分にダイレクトに関係している』ことだから、怖くてやっています。

とっても、ビビリーの小市民だから、力を合わすしかないなぁと思っているのです。