2012年1月30日月曜日

市民と科学者の内部被爆問題研究会発足 ~最後の被爆医師・肥田舜太郎氏の話~


「市民と科学者の内部被爆問題研究会」が127日(金)に発足し、都内で記者会見が行われた。呼びかけ人は、広島・長崎の原爆被害を長年追求してきた医師や研究者、ジャーナリスト、市民など26人。(20111220日現在)
この日の記者会見では、澤田昭二氏(素粒子物理学者・被爆者)、松井英介氏(医師・放射線医学・呼吸器病学)、矢ヶ崎克馬氏(物性物理学)、そして肥田舜太郎氏(被爆医師)など、3.11以降、市民の立場に立って内部被爆の危険性と身を守る方法を訴え続けてきた専門家らが登壇し、「年間1mSv以上の地域に在住する子どもを即刻集団疎開させるべき」といった、内部被爆の拡大と健康被害を防ぐために政府がとるべき安全対策を提言した。


 なかでも、自ら被爆者であり、戦後60年以上にわたって被爆者を診つづけてきた医師の肥田太郎氏は、95歳とは思えない力強さで以下のように訴えた。全文を編集して紹介する。



■最後の被爆医師
 自ら広島で被爆し、当時から被爆者を診つづけてきた医師は、現在日本で私一人になりました。つまり、実際に原爆を浴びた人間の外部被曝と内部被曝について、それをずっと診療し、事実を見てきた人間で生き残っているのは、私一人になったわけです。

66年間、ずっと被爆者と付き合い続けてきました。わたくしは日本被団協という団体のたったひとりの医師で、日本全国の被爆者の相談を一手に引き受けてきのです。そんなわけで、私が現在まで、聴診器をあて、相談をした被爆者は、少なくとも6000人はいます。

その中には、外部被爆を受けながら、大変な思いをして今日まで生き延びてきた方もいますし、内部被曝を受けて、説明のできない非常に困難な症状を持ちながら、世間からは被爆者として認められなくて、そのために社会から差別を受け、一人前の人間として生きていけなくなった患者もたくさんいました。

■なぜ、日本は原爆から学ばなかったのか
 最近、外国の方から、「広島と長崎で原爆を経験した日本が、なぜ地震の多い国にもかかわらず海岸に53基も原爆を作ったのか」と質問されることがよくあります。
また、日本でテレビに出演されている専門家の方々も、そういうお話をされます。しかし、「なぜそうなったのか」ということをお話される方は誰もおりません。

私は当時からずっと見てきて、この原因は、たったひとつだと思っています。それは、占領したアメリカ軍が、被爆者の病状すらも「アメリカの軍事機密だ」という声明を出したことたことにあると思っています。被爆者に対して、「一切被害についてしゃべってもいかん、書いてもいかんと言い、医師は職業柄、被爆者が来れば診療はしてもよいが、その結果を書き残したり、それを論文にして論議をしたりしてはいかん」と言いました。

このように、日本の医学界が、放射線について研究することを一切禁じ、「これに反するものは占領軍として重罪にかす」という声明を発表して以来、被爆者は沈黙を守り、医師は自分の診察した症状を記録しなくなったのです。ですから当時の被爆者が、ずっと経験してきた放射線の被害の実情は、どこにも正確に記録されていないのです。だから今の政府も今の医師も、あの当時のことを正確に学ぶ資料が全くありません。

私は世界30ヵ国ぐらい歩いて、海外の医師や学者に、内部被曝のことを話してきました。「そんな大事なことを、あなたという医師がなぜ個人でここに来て話すのか。政府が発表した資料はないのか」と聞かれます。私はこれに対して「全くありません」と答えました。
 なぜなら、「アメリカの占領が7年間続き、そのあとを受けた日本の政府が安保条約を結んで、軍事条約の手前アメリカの核兵器のことを一切記録をしない、ということになっているためできないのです」と話してきました。 

■被爆の影響はいつ起こるか
 私が福島原発事故の話を聞いて最初に思ったのは、「これは大変なことになったな」ということです。放射線そのものが、広島や長崎で使われたウラニウムとプルトニウムを混ぜ合わせた放射線ですから、福島の人たちに広島・長崎の人々が経験したのと同じことが、そのまま起こってくると考えるほうが常識なのです。

これがいつ起こるのか――。広島と長崎の経験から言うと、内部被曝による原因不明の症状が出始めたのは、ちょうど一年ぐらい経ってからでした。最初に現れ始めたのは半年後です。ですからおそらく、この3月頃から彼らの中に、医師が診ても診断のつかない非常に不思議な症状で、いろいろと苦しむ人が出てくると思います。

残念ながら、今の日本の医療界には、こうした患者を診て親切に相手のできる医師は一人もおりません。おそらく、診ても「あなたは病気ではないよ」と言って、ほっぽり出すでしょう。ちょうど、広島や長崎の被爆患者が、どの医者にかかっても、大学の医学部を受診してさえも、「あなたは病気ではない」といって追い出されたのと同じです。しかし本人は働けないくらい体が辛く、結局は「ぶらぶら病」という名前で、社会から抹殺されました。それと同じことが起こるのではないかと、私は心配しています。

■マスコミは真実を伝えてほしい
 日本は上から下まで、あの大きな被害を受けた原爆の放射線被害について、全くの無知です。なんにも知らない。広島と長崎の原爆で被害にあったことくらいは、なんとか知っているでしょうけれども、あのキノコ雲の下で人間がどのように殺され、また内部被曝によって身体の中に放射能を取り入れた人々が、その後66年間、どんな苦しい生活をしてきたか――。このことを誰も知りません。これは全部、私はアメリカの責任だと思っています。

私は、当時からアメリカの憲兵や日本の警察に追い回されながら、広島で寝ている被爆者を助けてきました。私は、別にアメリカの国民を憎いとは思っていません。しかしあの爆弾を作り、あの爆弾で最初に殺人を考えた、この連中は許すことができない。

日本は、福島の原発事故だけで終わるわけがはない。必ず次に事故が起こってきます。もう二つ、三つ事故が起これば、日本はおそらく滅亡するでしょう。そういう非常に危険な状態なのだということを、為政者は誰ひとり考えない。のんきにテレビに出てきて、「大丈夫です」などと言っている専門家などは、私は本当に軽蔑したくなります。

どうかマスコミのみなさんは、放射線の被害というものは、下手をすれば人類が生き延びることができない大変な代物だということを腹で知って、どんな小さな情報でも大事に扱っていっていただきたい、ということをお願いして私の話を終えます。

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 今後、「市民と科学者の内部被爆問題研究会」では、海外の研究者たちとも連携をはかり、これまで公にされてこなかった内部被爆の実態を明らかにしていく予定だという。
政治都合で動く御用学者の発表を、うのみにする時代は終わった。私たち市民の立場から「真実」を探究し、被爆に苦しむ人々をひとりでも軽減できる会に成長してほしいと思う。

2011年12月25日日曜日

舞い上がり土埃とセシウム花粉飛散による内部被爆対策カップマスク・カッパ支援について

いわき市在住の方から、子どもたちをセシウム花粉の飛散から守るための呼びかけ依頼をいただきました。

なんでも、いわき市を含む浜通地区は、日本一の杉花粉飛散地域なのだそうです。(農水省発表)
また今年は、放射能汚染された“セシウム花粉”が飛散することが予測されており、呼吸による内部被爆が心配されています。

これを防ぐためには2~5月の花粉飛散時期に、“カップマスク”や“カッパ”などで防御する必要があります。本来ならば、教育機関がこれを呼びかけなくてはならないのですが、残念ながら現在のところ動き出す気配はないということです。

市民が呼びかけた結果、ユニチャームが「資金面での援助を受けられれば、カップマスクなどの支援をする」とおっしゃっているそうです。

つきましては、皆さまのご支援と呼びかけ・拡散を、どうぞよろしくお願いいたします。


*****詳細は、以下呼びかけ人の方のブログをご参照ください*****


舞い上がり土ぼこりとセシウム花粉飛散による内部被爆対策カップ・マスク、カッパ支援について

2011年12月24日土曜日

1月7日(土)に、神戸で『From 3.11福島の今を知ろう』という講演会を開催します


私の地元は、神戸です。

実際に、被災地から距離が離れるほど、“原発”“放射能被害”に対する危機感が薄なあ、と実家に帰るたびに痛感していました。

そこで来年の1月7日に、福島市で高校の教員をしていらっしゃる赤城修司先生をお招きして、『From 3.11福島の今を知ろう』という講演会を開催することにしました。

福島市といえば、今現在も空間線量が1マイクロシーベルト/毎時を超えるような高線量地域が多く、チェルノブイリなら、“移住の義務ゾーン”“移住の権利ゾーン”に相当しているエリアです。

赤城先生は、そのような高線量地域にある高校の教員をされていて、3.11以降からずっと、子どもたちの様子やご自身の生活を記録しておられました。

その膨大な資料をもとに、3.11以降、赤城先生が実際に見て、聞いて、感じたことを中心に時系列でお話していただく予定です。

以下、チラシとなっておりますので、関西方面にお住まいの方は、ぜひご家族、ご友人お誘い合わせの上ご来場ください!

今、福島で起こっていることは、決して他人事ではありません。もし万が一、あなたがお住まいの近所の原発が爆発したら…、あなたの身にも同様のことが起こると思います。
現実を知り、「今できること」を考え、アクションにつなげましょう。




2011年12月21日水曜日

わたり土湯ぽかぽかプロジェクト始動!

「中通り」と呼ばれる福島市の渡利地区は、年間20mSvにもおよぶ高い放射線量があります。しかし近くに県庁があり、いわば「福島の心臓部」であるため、本来ならば“特定避難勧奨地点”に指定されるべきエリアであるにもかかわらず、放置され続けている現状です。
例えば、南相馬市や伊達市では、勧奨地点指定基準を独自に以下のように設けています。特に注目すべきは「子ども・妊婦基準」で、南相馬の場合、地上から50センチ高で計測して2.0μSv/hであれば避難の権利を得られるのです。しかし、福島市では「子ども・妊婦基準」すら設けておらず、2.0μSv/hで“除染”という尻すぼみの内容となっています。





渡利地区は住宅地のため、多くの子どもや妊婦さんが生活しています。「避難したいけど、仕事や経済的な理由で避難できない」という世帯も多く、今この瞬間も、高い放射線の中で生活を余儀なくされているのが実情です。
セーブわたりキッズ、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク、フクロウの会、FoE Japanなどの団体は、この9ヶ月間政府に“避難の権利”を求めて交渉を続けてきましたが、いっこうに動かないため、今回「わたりぽかぽか土湯プロジェクト」を始動することになりました。
これは、渡利から自動車で30分くらいの場所にある土湯温泉の旅館に、渡利の子どもたちや親子に滞在してもらい、放射線量の低い地域で思いっきり羽を伸ばしてもらおうというもの。土湯温泉は、空間線量は毎時0.10.2マイクロシーベルトと低く、渡利の10分の1から20分の1だということです。

このプロジェクトを成功させるには、日本中の皆さんの協力が必要とされています。
下記にて寄付を受け付けておりますので、ぜひご協力ください。




詳しくはコチラ

もちろん今後も、政府には避難の避難勧奨地点の指定を求めつつ、並行してこうした保養プロジェクトを推進していくということです


※渡利地区についての詳細は、OurPlanetTVをご覧下さい
『なぜ避難勧奨地点にならないのか!? ~苦悩する福島市渡利地区』
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1281

2011年11月22日火曜日

11月22日発売(12月7日号)の婦人公論に、山本太郎さんと野呂美加さんの対談を書かせていただきました

ながらく、こちらのブログを更新しておらず、すみません…。

このたび11月22日発売(12月7日号)の婦人公論に、山本太郎さんと野呂美加さんの対談を書かせていただきました。
ぜひ皆さんにご一読していただければ幸いです。

http://www.fujinkoron.jp/

ご存じの方も多いと思うのですが、俳優の山本太郎さんは今、自主避難の権利すら認められていない福島の高線量地域に住む子供たちを守ろうと、各地で活動を続けています。

また、野呂美加さんは、「チェルノブイリへのかけはし」というNPO団体の代表で、20年にわたってチェルノブイリ原発事故の被害を受けた子供たちの保養支援を行ってきた方です。

おふたりとも、福島はもちろん日本全国をかけまわり、チェルノブイリと同じ轍を踏まないようにと講演会を行っています。

そんな熱い思いを持ったおふたりに、「ぜひ対談をしてほしい!」と思い、このたびやっと実現しました。

福島が、そして日本が、チェルノブイリのような被害を出さないためには、今こそチェルノブイリに学び、予防原則にたって対処する必要があると思います。

少しくらい「大げさ」だと思われてもいい。あとで、「あんなに心配してバカみたいだったね」と笑えるならいい。

でも、「あのとき、どうして行動しなかったのだろう」と、後悔するのだけは避けたい。

もちろん、リスクは放射能だけではありません。故郷を離れるリスク、仕事を失うリスク…。その他たくさんのリスクと天秤にかけて、「どちらかを選択」しなくてはならないのです。つまり究極の選択です。

何を選択するかは、この民主主義の日本において“自由”です。
当時のソ連のように、無理矢理移住させられることはありません。

でも、日本に本当の意味の“自由”はありません。

「本当は避難したい。でも、ローンも仕事もあるから逃げられない」
「年老いた親を残して、離れるわけにはいかない」
「自分だけ避難したら、裏切り者と言われる」

小さな子供を持つ親でも、そんな引き裂かれるような気持ちで、福島にとどまっている人たちが多くいると思います。

それぞれの選択は尊重されるべきだと思いますが、せめて「避難したくなったらいつでもできる」環境を整えておくことは必要です。

「なんの非もない人たちを、危険かもしれない土地にほうっておくなよ」
「補償しろよ」

それは県外の人間だからこそ、言えることかもしれません。

だから、やっぱりお節介だと言われても、余計なことをするなと言われても、風評被害を拡大しているとののしられても、声をあげ続けているおふたりのような存在はとっても貴重だと思うんです。

表には出ないけど、おふたりのように活動している多くの人たちも、きっと勇気をもらっていると思うから。

2011年8月8日月曜日

8月22号 婦人公論に記事を掲載しています

87日発売の822号婦人公論に、『放射能にさらされる子どもたちを守りたい』というルポを書かせていただきました。

http://www.fujinkoron.jp/newest_issue/index.html

現在発売中ですので、よろしければぜひご覧ください。

この取材をするために福島に向かったのは、6月上旬でした。

取材から、紙面に掲載されるまで少し時間がかかってしまったのですが、福島の子どもたちが置かれている状況は、残念ながら変わっておりません。

変わっていないどころか、毎週のように現地に支援に行っている知人から話を聞くと、

「すでに、疎開や移住をあきらめ、病気になろうが死のうが、ここで生きていくしかないんだ」と、負の覚悟を決めて投げやりになっているママさんたちも増えてきているとのこと。精神を病んでいる人が増えているのです。

心配でなりません。

取材させていただいたときは、「もしかしてこの記事が紙面に載る頃には、子どもの学童疎開が決まったり、自主避難の権利が獲得されたりして、事態が大きく動いているのでは…」と、期待していましたが、後退している…といっても過言ではないかもしれません。

しかし、ここ数ヶ月、福島の方々とお話しさせていただく中で、「避難や移住」が私が思っている以上に簡単ではないことも痛感いたしました。

身の安全が第一なのは当たり前ですが、疎開や移住をしたものの、家族離ればなれの生活や、地域コミュニティとの断絶がどれほど辛いことかも、みなさんの話を聞く中で知りました。

じゃあ、せめて私たちができることは何か――、と考えたとき、現地のことに関心を持ち続け、その様子を伝え、現地の人たちが「こうしたい」と望んだときに、いかにサポートできる体制をつくるか、だと感じました。

私個人はとても微力で、日々の生活に追われていますが、『知る・伝える・動く』ということを、なるべく少しずつでも続けていきたいと考えています。

こんなことをいうと、「すごいね」とか、「支援しているんだね」とか言われるのですが、決してそうではありません。

『人ごと』じゃないからやっている。

『自分にダイレクトに関係している』ことだから、怖くてやっています。

とっても、ビビリーの小市民だから、力を合わすしかないなぁと思っているのです。

2011年7月30日土曜日

「1学期を終えて伝えたいこと」福島県・教員のインタビュー

新学期が始まって間もない4月上旬。私は、郡山市の小学校教員・川口真理さん(仮名・32歳)に電話インタビューを行い、「子どもたちを被ばくから守りたい!」という悲痛な叫びを受け取った。

(以前のインタビュー記事「Twitterでつぶやいて!福島県の教員の訴え」はこちら

あれから3ヶ月――。学校はすでに夏休みに入っている。郡山市内の状況や、子どもたちの様子はどう変化したのだろうか。1学期をふり返っての感想を、再び川口さんにうかがった。

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■声をあげることがタブーではなくなった

「おかげさまで、なんとか1学期を終えることができました」

開口一番そう話す川口さんの声には、3ヶ月前とは違う力強さが感じられた。

この3ヶ月でもっとも大きく変わったことは? と尋ねると、「最近は、堂々と放射線のリスクについて話せるようになったことですね。学校が始まって間もないころは、タブー視されていましたから」という答えが返ってきた。

川口さんが、「タブー視されていた」と話すのには、以下のような理由があった。

 福島県が4月始めに行った調査によると、県内の小中学校のうち約75%で、“放射線管理区域”レベルの高い放射線量が観測されていた。川口さんは、「まさか学校が始まることはない。子どもたちはみんな避難することになるだろう」と思っていたという。

 しかし実際は違った。

 文部科学省はあっさりと、子どもにまで「年間被ばく限度量20ミリシーベルト」を適応し、校庭などの屋外活動に関しても、毎時3.8ミリシーベルト以内なら通常通りでかまわない、との見解を発表したのだ。

 これを受け、新学期は開始されることになった。福島県内の学校には、県の放射線リスク管理アドバイザー・山下俊一氏からの助言が書かれた通達文が一斉に配られた。

『今回の事故はチェルノブイリ事故とは違う。市民の皆さんに健康リスクはまったくない』

その通達文には、こんな文言が書かれていたため、放射線のリスクを危惧していた教師たちも、口をつぐまざるをえなくなってしまったのだ。

■文科省は口だけ、実際の除線は保護者の手で行われた

しかし、そんな状況が変わり始めたのは、 “子どもの20ミリシーベルト問題”が、マスコミでも取り上げられるようになった5月中旬ごろからだったという。

「新聞やテレビで福島県内の汚染状況が伝えられるようになってからは、保護者の間にも“このままではまずいのではないか”という危機意識が広がってきたんです。県外の人たちが声をあげてくださったことも大きかったと思います」

と川口さんはふり返る。

 こうした世論の高まりを受け、高木文明文部科学大臣は5月27日、「子どもの年間被ばく限度量1ミリシーベルトを目指す」との会見を行った。

「でも、文科省は会見を開いただけで、実際には何にもしていませんからね。結局、学校の除線も、すべて保護者の手を借りて行いました」

 川口さんの学校では、休日返上で保護者が学校に集まり、放射線計測器を片手にデッキブラシで校舎を洗浄したという。また、校庭に関しては、業者に依頼して表土を剥ぎ取った。

 「郡山市内の小学校は、かなり早くから危機感を持っていました。でも、中学・高校に関しては、除線をする前から校庭で部活動を再開していたし、除銭した後も、汚染された土を集めたいわゆる“原発山”のとなりで、当たり前のように部活動をしています。なぜ、子どもの未来のことより、目の前の部活動を優先するのか……。本当に腹立たしい」と、川口さんは憤る。

■自分で運命を切り開く力をつけてあげたい

 一方で子どもたちは、放射線のリスクと、どう向き合っていたのだろうか――。

 川口さんが受け持つクラスでは、「窓を開ける、開けない」に関しても、子どもたち自らが、話し合いによって決定したという。

「最初のうちは、放射性物質のついた土ぼこりを吸い込むリスクを考えて、『窓を開けたくない』という子どもが半数以上でした。しかし7月に入ると、クーラーのついていない教室内の温度は、35度を超えるようになった。これはいよいよガマンができない、ということで、再び子どもたち自身が話し合った結果、時間を決めて窓を開けることになったんです」

 子どもたちは、放射線のリスクもしっかり把握したうえで、今できる最良の方法を選択していたのだ。

 川口さんは、子どもたち自身が自分で考えて判断ができるよう、放射線に関する知識をしっかり教えたうえで、自主性に任しているという。

「自分の手で未来を切り開いていく力をつけてやりたいんです。悲しいことですが、福島の子どもたちは今後、差別や偏見ともたたかっていかなければならないでしょう。今はまだ、“福島の子どもたちはかわいそうだね”って同情してもらえますが、あと数年もすれば忘れ去られてしまう。だからこそ、自分で考え、自分で行動しなければ。それが、私が子どもたちに教えてあげられる唯一のことだと思っています」


■子どもたちが安全に遊べる場所を

 インタビューの最後に、改めて「今後、福島の子どもたちに必要な支援は?」と川口さんに問いかけてみた。

「町に1カ所でもいいから、完璧に放射線の管理ができていて、土遊びも水遊びもOKという場所を作ってほしいですね。残念ながら現在は、町全体の除線作業はちっとも進んでいません。だから、子どもたちが思う存分遊べる場所がないのです。今でも、子どもたちを安全な場所に逃がしてやりたいという気持ちに変わりはありません。でも、どうしても福島から出られない子どもが大勢いる。残った子どもたちのために何ができるのかを、今後は考えていきたい」

 子どもたちに被害が出てからでは遅い。日本全国の人たちがこの問題に関心を持ち続け、国を動かす努力を続けていくしか、子どもたちを守る方法はないのだろう。